共感性の乏しい社会・1

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 共感性の乏しい人たちは、心の中に、さまざまな恐怖を抱えています。
 だからいっそう、感情をブロックしているのだと考えられます。
 男性のほうが、特にそうでしょう。

 それは強いのではなく、鈍感なだけです。

 鈍感だと、怖さを感じないかというと、そうではありません。

 無意識の中に、しっかりとため込まれていきます。

 だから、何か怖いことに直面すると、目を背けて見えないふりをするのです。

 本人たちは、自分が目を背けて直視したがらないということに、気づいていません。
 むしろ、その鈍感さを「強さ」と勘違いしている人が多いに違いありません。

 その恐怖ゆえに、いざ何かが起こったときには、すぐに行動できません。

 動かずに、不平不満を言って終わることも多いでしょう。

 怖いから、それ以上の恐怖。つまり、ぎりぎりになって、
「これ以上は、無理だ」
 というように、尻に火がついてからしか、動くことができません。
 だから、すでに手遅れということが少なくないのです。

 恐怖というと、特別大きなことをイメージするかもしれませんが、そうではありません。

 人間関係で言えば、
 人に対して公平にポジティブな気持ちで接していられるか。
 人に対して好意的な気持ちを抱いているかどうか。

 根本的なこととして、人を好きかどうか、それとも恐れているのか。

 例えば、人と一緒にいるとき、緊張しているのか、ほっと安心するような気持ちになっているのかどうか、
 自分の「感じ方」に気づけば、自分が他者に対して、どう思っているのか、自分の意識のレベルがわかります。

 自分が自分の感情に気づかなければ、自分が諸々のことに対して、どんな気持ちを抱いているかは、わかりません。

 自分では「人を好きだ」と思い込んでいたとしても、それは自分の「支配性の強さ」で、相手が逆らわないので気分がいいだけなのかもしれません。

 その違いを知るには、「人と一緒にいるとき」に、相手の状態を感じ取る能力が必要です。
 これは、人の顔色を窺うこととは違います。

 窺っているときは、思考に囚われています。
 けれども、どんなに思考しても、相手の情報を正確に掴むことはできません。そのほとんどが、正確ではないでしょう。

 どうしてでしょうか。
 それは、自分の根底にある意識そのものが、間違っているからなのです。

 それよりも、感じることのほうが、はるかに正確です。

 感じる能力を磨いていってこそ、自分を守ることができるのです。

 あるいは、自分の人生を修正したり改善したり、よりよい人生を築く方法が見えてくるのです。  (つづく)