設定が正反対になっている(2)

この例だとまだ、
「そんなバカなことはしない」
と思うかもしれません。

では、これはどうでしょうか。

自分の子供が、いつも学校に遅刻して困っている親が
いるとしましょう。
学校の先生は、20分早く起こしてください、と指導します。
親は、子供を叱りつけながら、20分早く床につかせようと
するでしょう。

けれども、それで子供の遅刻が改善されることはないでしょう。

なぜならそれは、20分早く起きれば解決する問題では
ないからです。
むしろ、そんな発想しか出てこないことそのものが、
すでに「他者中心」に陥っている、ということができるでしょう。

他者中心の人に見えるのは、「子供が遅刻する」という光景です。
それだけみれば、確かに、「子供だけの問題」
と見えるので、子供をなんとしようとするでしょう。

自分中心の人であれば、「子供が遅刻する」のは、
自分とも関わりがあると気づくかもしれません。
そのとき、本当の理由や原因が見えてくるでしょう。
そして、親子関係を改善しようと努めるでしょう。

こんなふうに、まったく正反対の対応をしていってしまうのです。

自分をみていないと、「自分が何を意識し、
どこをみていて、何を感じ、何を考えているか」
にすら気づきません。

すでに他者中心で生きていると、
この「自分が何を意識し、どこをみていて、何を感じ、
何を考えているか」と問われても、
答えることができないでしょう。

他者中心の人は、意識が外側や他者に向いているので、
その言動も他者中心です。

他者のエリアにどんどん介入したり侵入したりしていきます。
しかも、物事を判断するとき基準にするのは、
社会や他者を基準にしているので、
それは義務や強制となっています。

自分中心と他者中心の初期設定は、自分の意識の所在の違いです。

すでに正反対の意識からスタートするので、
両者は、行けば行くほど、乖離していきます。

晩年になればなるほど、その差は、はっきりとしてくるでしょう。