自分を信じる生き方 

(※間違って、同じ記事をアップしてしまっていました。
 申し訳ありませんでした。
 また、指摘していただき、ありがとうございます。)
 
未来を思うと、どうしても、
これからどんどん豊かになって幸せになっていくような想像を
することができない。
そう思ってしまう人も多いのではないでしょうか。

いつ、このコロナ禍の状態が終息するのか、
かつて体験したことがなかった出来事や事件や社会問題が
飛び込んできて、落ち着いた日常生活が送れないような気分に
なりがちです。

経済的に苦しくなるだけなく、精神的にも、自分の生活が覗かれて、
言いたいことも言えないような監視社会に、
急速になりつつもあります。

こんな社会の中にあっては、社会の価値基準は、
くるくると変わります。「他者中心」になって、
社会の基準に合わせる生き方をしている人は、
何を基準にして判断したらいいかわからないために、
ますます、迷ったり、混乱したりするでしょう。

とりわけ物事を思考だけで解決しようとする人は、
何を選択しても、それで安心したり満足したりする、
ということはないでしょう。

判断基準がわからないので、自分を守ることができません。

そもそも、何のための判断なのか、と言えば、
それは他人ではなく、自分自身のため、のはずです。

にもかかわらず、他者の決めた基準に合わせようとするのですから、
不思議でなりません。

これからの生き方として、私は、3つに分かれていくと思います。

・他者に従うことを選択する人たち。
それを選択すれば、「個」としての自分を捨てたり、
「心」をさらに麻痺させるしかないでしょう。本来の人間らしさは、
徐々に諦めていくことになるでしょう。

・他者に従うことを選択しつつも、従いきれない人たち。
この層が、最も多いのではないでしょうか。
黙って従っていたほうが安全だ、と考えつつも、
そうすることに抵抗する自分もいる。そのために、
何をするにも、絶えず恐れたり、不安になったり、
揺れたりするでしょう。

・物事を選択し決めるときに、
「自分を基準にして判断する」人たち。
この自分の基準というのは、いつも言っているように
「自分の欲求、気持ち、感情」です。

これは「自分を信じる」生き方です。
それは、言い換えれば、自分の心に叶った選択をする、
ということです。
自分の心に沿う選択ですから、はるかに自分らしく生きることが
できるでしょう。

私としては、どんな社会になっても、
仮に非常に生きづらい社会になったとしても、
生き残ることができるのは、こんな生き方しかないと思っています。

ただ、それには、自分を守ることができるスキルが必要です。

その最も重要な一つとして、「自分の責任の範囲」
を把握しておく、ということが不可欠なるでしょう。

自分の責任の範囲を、最初から具体的に把握できていれば、
その範囲で、自由に行動できます。

何か不都合なことが起こったとしても、それは、
自分が責任をとれる範囲ですから、安心できます。

自由に行動し、かつ自分を守る。
そのためにも、自分中心が不可欠なのです。