無意識のなせる技 Mさんより

いかがお過ごしでしょうか。

私が普段、行く所に、
裏のコンビニがあります。

そこへ行くには、人一人が
やっと通れるような道を
通る必要があります。

畦道のようなものを
イメージしていただけると、
わかりやすいかもしれません。

隣は、小川です。

そして、その道の隣には、
家があります。

いつもそこで、
ひなたぼっこをしている、
年配の男性がその日も
いらっしゃいました。

挨拶するには、少し、距離があり、
また、その方が私に気づいたのは、
私が植え込みに隠れる寸前の所だったので、
挨拶できずに、通り過ぎることになりました。

私もそういった理由で、
しようかするまいか、一瞬、
考えましたが、そのまま、
道を歩いて行きました。

気持ちの中では、挨拶をしてもよかったかなと
思っていました。

そして、帰り道に、また、その道を通って、
家に帰るのですが、こんなことがありました。

先程の年配の男性がその道で、
草むしりをしていたのでした。

私は、今度は、「こんにちは。すみません。
通らせてもらいます」と挨拶をしました。

すると、その男性もにこやかな表情で、
「どうぞ、いいですよ。こんにちはー」と
挨拶を返してくださいました。

いかがでしょうか。

私は、すぐに、ピンときましたよ。

その年配の男性の無意識のなせる技って、
すごいですよね。

もちろん、私の無意識もです。

どういうことか。

人一人しか通れない道の真ん中で、
草むしりをすれば、
さっき通り過ぎていった男(私)は、
必ず、私に声をかけるはずだ。
「通ります」と。

ならば、道の真ん中で、
草をむしっておこう。

後は、あの男が来るのを
待つのみだと。

深読みし過ぎですか?

それとも無意識のなせる技でしょうか?

そこには、私の目的もありましたからね。

それは、何なのか。

私も「微妙な距離だったから、
挨拶しにくかったけれども、
もしも、道の真ん中にいたら、
気持ちよく、堂々と
挨拶できるのだけどなあ」と。

いかがだったでしょうか。

お互いに、声をかけたかったのでしょうかね。

今回の出来事は、互いのデメリットを
解消して、メリットを紡ぎ出すような
無意識の総合の和がなせる技だと思いました。

(もし、意識が現象の前にあって、それが形になっている
としたら、こんなささやかな場面でもそうであるはず
です。
ここまでミクロでも起こっている、ということを本気で
信じている人たちは、まず、皆無といってもいいでしょう。

頭で信じていることと、経験でわかっていることとは違います。
信じない人たちも、普段から、この視点でみてみませんか。

これも実験です。 石原加受子:記)