何で、有観客でOKなの?   Mさん(および一言コメント)

先日、ネットニュースで、
こんな記事を見かけました。

「オリンピックは、無観客開催なのに、
何で、国内プロスポーツ興業は、
有観客でOKを出すのか」

私なりに考えてみました。

結論は、すぐに出ましたよ。

大体、世論がオリンピックには、
反対が多い。

要するに、やりたくないわけですよね。

ですから、こんな状況の中で、
やるなんて、けしからん。

やるなら、無観客だ。

そんなロジックです。

一方、国内のプロスポーツ興行は、
開催することに賛成の方が多いのですよね。

ですから、やりたいことですから、
観客がいてもいいということになります。

私が思ったのは、この記事を書いた方がなぜ、
このことを疑問に思ったかということなのです。

この方の視点は、一方は、無観客、
一方は、有観客。

何で、片方は、NGなのに、
片方は、OKなの?

こんな見方をしていますよね。

私は、少々、驚きました。

ここまで、自分の気持ちを置き去りにして、
周りの出来事だけを見てしまっていることに。

自分の気持ちに尋ねれば、
即、答えが出てくる話だと思いましたが、
いかがでしょうか。

「やりたいから、やる」

「やりたくないから、やらない」

そんな風に自分の気持ちを基準にすれば、
世の中の出来事がすっきり、シンプルに
見えることに繋がりますからね。

あまり、周りの出来事に意味づけしても、
結局、自分のフィルターがかかってしまいますから。

そうであるならば、自分に意識を向けて、
「今」私がどう思っているのか、
何を感じているのかに焦点を当てて、
それを言語化できる方が物事をより正確に、
判別できるようになります。

ですから、皆様も自分を信じて、
「今」の気持ちに即した見方を
してみてください。

頭で、あれこれ考えるよりかは、
その方が遙かに、客観的に、
見ることができると思いますよ。

そんなことを感じたお話でした。

(一言コメント)

もろもろも理由から、「やりたい」
あるいは「やらなければならない」

もろもろの理由から「やりたくない」
あるいは「やるべきではない」

オリンピックの場合でいえば、
自分が「やりたい」と思っていても、
その中に、罪悪感やネガティブな気持ちがないかどうかです。
オリンピック選手の親にしてみれば、
「やらせてあげたい」と、心から望むかもしれません。

しかし、例えば、自分がほしいからと、
強引に相手のものを奪ってしまう。

そのとき、自分のものになった満足感や奪う快感を
覚えたとしても、相手を犠牲にした満足感や、
復讐的な快感は、決してポジティブな意識ではなく、
低い意識での、快感と言えるでしょう。

純粋な欲求の中には、「他者を犠牲にしてでも」は、ありません。