他者中心だと極端な思考に陥ってしまう(2)

前回、他者中心の意識で生きると、「厳しい人生になりやすい」ということを、話しました。

それは、スポーツでも、それが言えることです。

もちろんそれは、スポーツ選手がすべて、「厳しい人生になりやすい」と言っているわけではありません。

どんな意識でスポーツに臨んでいるか、です。

例えば、集団生活をしていても、「絶対に、上に従う」という体育系意識でいるのか、阻止組織としてはそうであっても、「自分の意思や意志を大事にしているか」の違いです。

あるいは、どんなスポーツをしているかでも違うでしょう。

絶対的な上下関係があって、それに服従するということを繰り返していれば、次第に、自分の意思と意志をなくしていくでしょう。

それでいて、忍耐する力ばかりが強ければ、逃げだそうともしないでしょう。
普通の人だったら、根を上げてさっさと止めてしまうときでも、忍耐します。

チームプレーのよさは、協力し合って勝利を競うところでしょう。

けれども、その一方で、そういう人たちは、思考がすでに固まっているために、自分が縛られていることにすら気がついていないかもしれません。

服従することに慣れてもいるので、顕在意識的には、苦痛を感じない。
だから、自分が何をされているのか、すら、わからない。
そして、耐える。

それは同時に、厳しい人生になるトレーニングをしているようなものです。

優秀なスポーツ選手が、必ずしも、スポーツをやめたとき、幸せになるとは限りないのは、こういうことです。

むしろ、厳しいことに慣れている。
厳しいことに耐えることができる。
また、自分の感じ方が「鈍感」になる。

スポーツでは、何も考えないで、服従してトレーニングしていれば成績を伸ばすことができていたかもしれません。

けれども、人間関係や家庭生活では、違います。
スポーツで上達することとは、本質的に違うのです。

そのために、うまくいくとは限りません。それで仕事が成功するとは、限りません。

例えば、自分が指導すれば、下に服従させようとする。
あるいは、上に人がいれば、黙って服従する。

そんな極端な思考であるために、一旦人を信じれば、黙って従うことに慣れてしまっているから、騙されても気づきません。
もちろんそれは、依存性からきています。

ですから、付き合う相手が善良な人に恵まれればいいのですが、「騙されやすい」という特質があるのは否定できません。