行動というのは思考では処理できない(6)
自分が、そうすることを自分が認める。
これは、「自分自身を愛してあげる」ということだ。
「でも、〇〇をしたら不満を言いたくなりますが、〇〇をしなかったらしなかったで、みんなに悪いと思って、どっちを選んでも、苦しくなるんです」
それは、「自分が自分の気持ちのほうを優先させる」ことに「OKを出せない自分がいる」ためである。
けれども、自分の気持ちや感情を抑えたまま「思考」を優先させると、心にゆとりがなくなって、逆に思考に囚われていく。
例えば、こんな思考に囚われる。
〇〇を「する」か「しない」か。
これは、「ゼロか100」である。
むしろ、最初に「〇〇をしたくないから、やめよう」と思ったとき、そうすることを、“気持ちよく”自分に許すとどうなるか。
それができれば、
「少し休んだから、〇〇をしよう」
「全部はしたくないから、この部分だけ引き受けよう」
などと、「自分も相手も大事にする」発想が浮かびやすくなる。
結論を言えば、「願いがかなう人になるシンプルな方法」(大和出版)で書いているように、まずは、感情の願いを叶えてあげるためにどうするか。
こんな発想で動いたほうが、リスクも問題も少ない。
自分の願いを叶えるために「思考」して、自分の願いを叶えるために、意志をもつ。
言葉でそれを伝える。
相手とコミュニケーションをとる。
「選択の責任」の領域を侵さずに、同意を得る。
「行動する」ために、思考する。
こんな思考の使い方であれば、体も心も気持ちよく動くだろう。
ちなみに、自分にOKを出す言葉。
「これでいいんだ。これでいいんだ」
あるいは、多少、気がとがめても、
「自分の気持ちを大事にできたんだ。ああ、よかった、よかった」
といったところだろうか。(終わり)