自分に必要だからこだわる(上)
物事にこだわっているとき、それを、「何とかはやく解決したい。この苦しみから、解放されたい」
と足掻けば足掻くほど、苦しくなるだろう。
「早く、このつらさから逃れたい」
無意識にこんな呟きをしたり、誰かにすがって助けてもらいたいと、イメージや感覚で願ったり、すがる。
あるいは、無自覚に心で叫びつづけるから、いっそう不安や焦りでつらくなるという悪循環に陥る。
そんなときは、いったん、「苦しみから逃れよう」とすることを諦めるしかない。
諦めるというのは、覚悟して、その問題を直視するということである。
時間を十分にかけると、決めることである。
自分が何かにこだわって苦しんでるときは、それから逃れたいゆえに、そのこだわりを否定したり拒否したり退けようとする。
けれども、そのこだわりから、なかなか解放されない自分がいるとしたら、それは、自分の得意分野だと思って受け入れたほうがいい。
よく、
「何をしたいか、分からない。好きなことがない」
という言葉を耳にする。しかし、好きなものはわからないけど、
「こだわっている」ことはわかる。
いま、そのことで悩んでいるのだとしたら、きっとそれは自分自身が心の奥底から望んでいることだから、“諦めて”追求することだ。
心理的にこだわるのであれば、
「私はそれが好きなんだ」
「好きかどうかわからないけど、もっと時間をかけて取り組む必要があるらしい」
「このこだわりが、私の人生のテーマであるようだ」
人によっては、場合によっては、「仕事をするより、社会的な活動をする」よりも、はるかにこの「自分のテーマに取り組む」ことのほうが重要なときがある。
むしろ、本質的な無意識から見れば、こちらのほうがはるかに大事である。
逆に、そんな人が、何不自由なく「普通の幸せ」になったとしたら、むしろ満足できないだろう。退屈で退屈で、生きてる意味をなくしてしまいそうになるかも知れない。
「こだわっている」ということは、それほど、「心の勉強をしたい」と願う自分がいると、思ってほしい。
一見、それがマイナスに見えても、「こだわる」というのは、それを自分がしたいのだ。(つづく)