超感覚(中)
ユング派に、「内臓感覚」や、ディクマンの「超感覚知覚」という言葉がある。
(前回、こんな話をした。)
「相手を感じる」ことができれば、相手のことを考えなくても、自分の身体や自分の状態を見るだけで、相手のことがわかる。
「なんだ、自分を見て、その感覚を大事にするだけでいいのか」
相手のことを憶測しなくてもいい、もっと正確に相手のことがわかる。
「おっ、自分を基準にしているだけでいいんだったら、シンプルで、楽じゃないか……」
しかし「相手の感覚」を自分が感じるということは、相手が苦しいときは、自分自身も苦しくなるということである。
「内臓感覚」に敏感であれば、相手が健康であればいいが、肉体的に重篤な場合は、自分にもその影響が出てくるということである。
事実、相手の心臓の鼓動が早くなれば、自分自身もそうなる。
内臓だけでなく、脳が同調し、反応するからたまらない。
まるで、精神的病気も肉体的病気も伝染する?
「伝染したままになったら、どうしよう……」
そんな不安を抱くこともあった。
どうしたら、それを感じないでいるようにすることができるか。
拒否する、戦う、抵抗する……では疲れる。
受け入れる?
意志をもつ?
言葉ではわかる。
しかしそれは、どんな体感? どんな感覚?
こんなふうに、「自分中心心理学」というのは、
「どういう意識でいれば、自分が楽でいられるのだろうか」
と、心理療法をやっていく上で、私自身が実際問題として直面していたことである。(つづく)