誰かに頼りたい、甘えたい(4)
要するに、
「頼りたい。甘えたい。愛されたい」
という意識そのものが、実現不可能な意識なんです。
なぜなら、これは一方通行だから。
例えば、
彼と一緒にいたら「でも、(彼は)手をつないでくれない」。
手をつないだら「でも、(彼は)ちっとも嬉しそうじゃない」。
話をしていても「でも、(彼は)私から視線を逸らした」。
視線を逸らさなかったら、「でも、相槌を打ってくれない」。
相槌を打ったら「でも、真剣に聞いてくれてない」。
というふうに、「誰かに頼りたい、甘えたい」という意識を自分の中に入力すると、あらゆる思考が自動的に、上記のような思考へと流れていきやすい。
このように、甘えられないところばかりみる。
だから心は、いっこうに満たされない。
頭の中は、甘えられないことばかりで、いっぱいになっています。
求めるだけでは、得られない。
「頼りたい。甘えたい。愛されたい」
そう願う、意識そのものが、感じることを忘れているか、感じることを知らない“状態”をあらわすからです。
だから、その願いは、永遠に叶わない……。
感じなければ得られません。
自分と向きあってくれる人の、仮にそれがほんの少しの愛であっても、それを感じてほしいと思うのです。
自分が苦しいときには尚更、「小さな愛」を感じてほしい。
行き詰まっているときほど、そんな「小さな愛」をありがたいと思う。
私自身も、子供が小さいとき、お店の人や公園で知り合った人など、そんな「小さな愛」に感謝しました。
例えば、私がこんな文章を書くことだって、その中に込めた私の「小さな愛」を感じていただければ、それが今日一日の、たった一日だけかも知れないけれども、あるいは数時間、あるいはわずか数分だけかも知れないけれども、支えになる。
その連続が、自分を救うことになる。
その連続が、愛を感じ、愛を得ることになる。(終わり)