自在に肉体を使う
「邪悪な人を痛快に打ちのめす!」(こう書房)は、動きがいいようです。
すでに読んでくださった方もいます。
相手が怖くて主張できない人は、2冊買って、1冊を相手に贈りましょう。恋人、夫、妻、頭の固いお父さん、口うるさいお母さん、上司、部下に。衝撃を受けるかも知れないけれども、大きな気づきのきっかけとなるでしょう。
「これまでの石原さんとは、違う人が書いたようだ」
と言う人がいました。
「ちょっと過激かも」という印象から、
「ゆっくり、読んでます」
とおっしゃった方もいます。
まじめに、深刻に受け止める本ではありません。ほとんど、ブラックジョークと受け止めてください。
誰もがもっている要素です。
誰もがもともと、我々の肉体に
「機能として備わっているものなんだ」
という感じで“自分自身を受け入れること”ができれば、パロディっぽく面白く読めると思います。
この本だけを読んだ人にとっては、石原は過激だという印象を抱くかもしれません。
もし、そうだとしたら、楽しい限りです。
それも私です。
我々は、本来、肉体を自在に使えるものだと思っています。
どんな人間にでも、なれるんです。
あのころの元気な私が「本当の私だった」。
いまの落ち込んでいる私は「本当の私なんかじゃない」。
なんて悩んでいても、結論は出ません。
あらゆる場面のあらゆる側面が、「私」です。
パソコン入力のように、設定が違えば、違った自分が現れます。
つまりその設定が「信念」です。
ちょっと設定(信念)を変えれば、そこから思考がはじまり行動へと、自動的に決まっていきます。
私はブラッド・ピット(さん)が大好きです。
彼は、自分の肉体の使い方が絶妙・精妙だからです。
彼の過去の作品をみるとお分かりだと思いますが、登場する人物によって、まるっきり、別人のようになりきっています。
演技なんてものではなくて、精神構造そのものが、別人になってしまっていると、私には感じます。
自分の肉体をここまで自在に使える人は、稀でしょう。
雑念の垢が落ちている人(解放されている人)ほど、肉体を自在に使うことができます。
精神が、肉体から解放されているからこそ、肉体を自在に使うことができる。そんな彼に驚嘆するんですね。
だから今回は私も、本の中で、ちょっと、彼の真似をしてみました。
「どんな私でもOKなんだ」
心から、どんな自分でもOKなんです。
そんな認識から入ると、読みながら「違った自分」を発見し、その「違った自分の感覚」を味わうことができるのではないでしょうか。