不幸なお金持ち 1
「罪悪感を消すレッスン」で、「お金に対する罪悪感を消す」ワークも盛り込んでいるので、必要に迫られて、たまにお金に関する本に目を通すことがある。
ただ、買ってはみるものの、どうしても興味が湧かない。
頑張って頑張って、お金持ちになっている人はたくさんいる。
私の視点がお金に関しても、「自分中心に、楽に、順調に」だから、登場している人もそんな人たちでは、参考にならない。
それらの本の中に、「不幸なお金持ちたち」のことが書いてあった。
その一つに、数万円の損をしたことばかりが気になって嘆く億万長者の例が書いてあった。
何となく、この気持ちはわかる。
一般的には、喜びよりも、マイナスの刺激のほうが大きいので、どうしても、そちらのほうに気持ちが奪われがちである。
けれどもそのお金持ちは、数万円損したことを気にしていても、相変わらず、お金持ちであるのだろうか。
私は、こちらのほうが、気になった。
「意識の法則」からいえば、「数万円の損失」を“損した、損した”と気にしていて、その気になる分量のほうがだんだん大きくなっていけば、次第に先細りになっていくはずだからである。
だからもし、そのお金持ちが「数万円損した」ことを気にしている状態を、著者が「お金持ちでも不幸になっている」という範疇に入れたとしても、収入が減っていないとすれば、著者が不幸だと思っているほどには、本人は気にしていないのかも知れない。
それほどに、その人が実感している「不幸感」「幸福感」のレベルは、外見だけでは、比較できない。
けれども、確実に、お金に関しても、お金に対するその“実感”が、形になっている。
(愛情の意識レベルと、お金(物質)の意識レベルとはまた、異なるので、お金がない人は、愛情もない、と言っているわけではありません。)
「お金持ちだから幸福」とは言えない。
だからといって「お金持ちは不幸」とも言えないだろう。
お金があって不幸であっても、「お金持ちでいて幸福になる」ことはできるだろう。
お金がなくて不幸なら、「お金があって幸福にもなれる」だろう。
お金がなくて幸福なら、「お金があって幸福にもなれる」はずである。
(もちろん、本人がお金持ちになることを望むんであれば、だが。)
もしそのお金持ちが、「数万円損した」ことばかり気になって、実際に収入が減って行くとしたら、どうやって、それを食い止めることができるのだろうか、などと考えた。
あるいは、幸せな億万長者は、数万円の損失のほうは気にならないのだろうか。
数万円の損失を気にしない億万長者のほうがいいのだろうか。
その答えを探したが、書いてなかった。 (つづく)