相手を感じる 2
相手を感じることができると、非常に生き方が楽になります。
自分の感じ方を基準にすればいいだけですから、
「これは、適切だったんだろうか。もっと違った方法があったんだろうか」
などと悩むことが少なくなります。
例えばAさんは、会社でミスをしました。
上司がものすごい勢いで怒鳴って注意しました。
「一つミスをすることで、みんなに迷惑を掛けてしまうんだぞ」
さらに上司は、そのミスだけでなく、Aさんの全人格を否定するような言い方をします。
自分の感じ方を優先できる人は、
「ミスをしたのは、自分が悪かった。けれども、だからといって自分の人格を全否定するような言い方は、傷つくし、決してそんな言い方は適切ではない」
と判断できます。
けれども、相手を感じることができないと、相手の言葉のほうに支配されます。
「上司は、正しいことを言っている。私が間違っているのだ。怒鳴られるのは当然のことなんだ」
と。
確かに上司が「みんなに迷惑を掛けることになる」というのは、正しいでしょう。
けれども、それを「怒鳴って言う」ことはどうでしょうか?
怒鳴って言うことが、適切でしょうか。ましてや、相手の人格を否定する言い方が正しいでしょうか。
相手を感じられないと、この区別がつきません。
区別がつかないと、上司の言うことを丸呑みして、
「私は、なんてダメな人間だ」
というふうに、自分を責めてしまうでしょう。
相手を感じることができれば、上司が不当に自分を傷つけてくる、この状況を何とかしようとするでしょう。
つまり、自分を不当に傷つけるような状況に、自分を野ざらしにするようなことはしません。
だから、上司に対して言い返すことはできないとしても、
「わかりました。今後、気をつけます」
などときっぱりとした態度をとって頭を下げてそこを去るなど、自分を守る行動ができるでしょう。
さらにまた、ミスを認めることはできても、上司の言葉に影響されて、自分をダメだなどと責めることもないでしょう。(おわり)