当たり前だと思っていること
みんなが当たり前だと思っていることと、自分が当たり前だと思っていることとは違うかもしれないとチェックし直してみることはいいことです。
自分が当たり前だと思っていても、「プラスの分量が多い人」の当たり前と「マイナスの分量の多い人」の当たり前とは、かなりの開きがあるでしょう。
一般的な日常生活の中では、他者と自分に起こっていることに、極端に大きな差があるわけではありません。
同じことでも、悪いことが起こったとみる人もいれば、良いことが起こったとみる人もいるように、多くの場合、それを自分がどう解釈するかによって異なります。
自分が「当たり前」だと思っているその基準すら、当たり前でない可能性が高いのです。
たとえば、最近、
仕事はしても当たり前。
人とうまく付き合えて当たり前。
それができないと「いけない」。あるいは、すでにできないと「自分はダメだ」と否定して、
「どうしたら、仕事ができるようになるでしょうか。どうしたら、人とうまく付き合っていくことができるでしょうか」
と相談する人が増えています。
そんな相談を受けると、すでに「それができて当たり前」が前提となってしまっていることに少々驚かされます。
仕事ができるようになるのが当たり前。
あるいは、
人とうまく付き合えるのが当たり前。
いずれにしても、漠然としています。
こんな漠然とした思いを抱きながら「それができて当たり前」だというふうに捉えたら、いっそうできずに苦しくなるでしょう。
Aの仕事だったらできる。Bの仕事はできない。
Aさんとは付き合える。Bさんとは付き合えない。
これだったら、まだ少し具体的になりますね。
では、
Aの仕事だったら好き。Bの仕事は苦手。
Aさんは好き。Bさんは苦手。
これだったら、そんな自分を認めることができるでしょう。
自分の気持ちを基準にしている人ほど、「それができて当たり前」という束縛から解放されているに違いありません。