感じないと、自分を守れない(2)
多くの人が、誰かが幸せをもたらしてくれたり、
幸せを与えてくれたりすれば、幸せになれると勘違いしています。
いま、自分がそれを感じられないのは、
そんな幸せを感じる状況にないのだと、思っています。
けれども、そうではありません。
自分がそれを実感できれば幸せな気分になれるはずであっても、
感じる感度が鈍ければ、幸せだとは思わないでしょう。
どんなに幸せを求めても、ポジティブな感覚や感情を感じなければ、
そこに幸せや喜びや満足感はありません。
ひとえにそれは、自分の感度次第ということも言えるのです。
感じることが重要なのは、それだけではありません。
「感じる感度」が、自分を守るためのツールでもあるのです。
しかもそれは、自分の守護神とも言えるほどに強力です。
常々言っていることですが、感情を感じられない人は、
どうしても、言葉に頼ってしまいます。
例えば、相手が「適切に対処します」と、言ったとしましょう。
その言葉が、信頼できるかどうかは、
「相手を感じること」ができれば、わかります。
美しい言葉は、どれだけでも羅列できます。
相手の言葉が、自分の心に、どう響くのか。
それを感じることができれば、相手が、その言葉を、
誠意をもって言っているのか、そうでないのかは、わかるはずです。
けれども、多くの人たちが、相手の言葉のほうに注目するか、
相手の言葉を信じようとします。
自分が感じることができなければ、それが「当てにならない」
というときにさえも。
依存性の高い人は、仮にその言葉を疑っていたとしても、
自分の感じ方を無視して、相手にすがろうとします。
その結末は、やがて失望を味わうことになるでしょう。
こんなとき、自分の感じる感度が高い人であれば、
相手の言葉よりも、自分の「感じ方」のほうを、信じるでしょう。
その感じ方を基準にして、物事の経緯や進展していく結果を、
冷静に客観的にみることができるでしょう。
そして、その時々に応じて、相手を無防備に信じて「待つ」よりは、
自分の「感じ方」を信じて「行動」するのです。
自分の感じ方を信じて、判断し、行動する。
これが、結果として、自分を守ることになるのです。