自分を語っている(2)
自分が誰かに“傷つけられた”と信じているとき、自分も知らずのうちに、同じやり方で誰かを傷つけている。
こんなことは、ないだろうか。
例えば、
「いつも私はこんなにしてあげているのに、あの人は、感謝の一言すらない」
と、AさんがCさんに愚痴をこぼしている。
Aさんは、Cさんと話をしながら、頭の中は、自分を傷つけたBさんのことで、頭がいっぱいになっている。
BさんのことでいっぱいになっているAさんは、傷ついた気持ちをCさんにわかってもらおうと、熱心に話をする。
このときCさんは、Aさんに延々と愚痴を聞かされて不快になっている。
しかしAさんは、それに気づかない。
Cさんは内心、その話にはうんざりしている。
それでもCさんが黙って聞いているのは、Aさんを傷つけたくないからなのだ。
だから、Cさんは、Aさんの望むような反応を返してこない。
満足できないAさんは、ますます愚痴をエスカレートさせる。
Aさんの心と頭を占めているのは、最後までBさんのことである。
そこにCさんの存在は、ない。
Aさんは、Cさんと話をしていながら、Cさんと一緒にいない。
Aさんが一緒にいるのは「マイナス関係のBさん」である。
目の前にいるCさんと一緒にいないAさんは、だから、延々と愚痴をこぼしても、Cさんに対して、
「ありがとう、気持ちが楽になった。嫌な愚痴を黙って聞いてくれて、本当にありがとう」
などとは言わないだろう。
なぜなら、Aさんがいま実感しているのは、「Cさんが私と一緒にいてくれて、ありがとう。私の話を聞いてくれて、ありがとう」という感謝ではなく、「私を傷つけたBさんって、なんてひどい人なんだ」というマイナス感情だからである。
というふうに、「Bさんに傷つけられた」とCさんに訴えるAさんは、同じようにしてCさんを傷つける。
しかもAさんは、自分が相手を傷つけていることにすら気づかない。
Cさんがうんざりして離れていけば、Aさんの「傷つけられた」出来事が、また一つ増えることになる。
しかし読者は、ここで「だからAさんが悪い」という発想をしてしまうと、Aさんと同じことになってしまう。(つづく)