自分を語っている(3)
傷ついたほうも傷つけたほうも、どちらも互いに相手を傷つけている。
それは当事者同士だったり、違った相手に・・・。
こんなときは、「相手が悪い、私が悪い」と言い合っても始まらない。
自分を責めたとき、相手を責めたときは、どちらにしても「自分を愛していないところがあるんだな」と発想してほしい。
まったく関係のない相手を非難したり、批判したり悪口を言っているとき、それは「自分を愛し足りないところがある」からである。
自分中心を唱えはじめた当初は、相手を責めてしまうのは、「我慢しているからだ」という言い方をしていた。
最近では、より能動性を意識して、
「自分を愛し足りないところがあるからだ」
という言い方をする。
このほうがより、自分自身を解放する感じがしないだろうか。
「では、どうすれば、愛することができるんですか」
などと、よく質問される。
一言でそんな問いに答えることはできないけれども、
相手と向き合うのが怖い。
自分の中にある恐れと向き合うのが怖い。
そんな恐れは、できれば避けて通りたい。
そんな恐れから、言いたいことを飲み込む。
多くの場合、「傷つくのを恐れて、言いたいことを飲み込む」。
これが、「自分を愛し足りない」大きな理由の一つとなっている。
自分中心心理学が言うところの「自己表現」というのは、相手に勝つことを目標とはしない。
常に、自分を愛するためである。
「我慢」という言葉を遣うと、ついつい、相手に意識が向きがちである。相手を見ながら他者中心的に、
「我慢しないで、言おう」
と思うと、気力を奮い立たせなければならないような気分になって、身構えてしまうに違いない。
けれども、
「私自身を傷つけないために、言ってみよう」
「私を愛するために、言ってみよう」
こんなふうに、自分の目標を「自分を愛するために」というところに据えると、「ちょっと言ってみよう」という勇気が湧いてくるのではなかろうか。(終わり)