許すこと《2》

「自分中心」の捉え方でいくと、相手の行為を「心から許している
かどうか」は、自分の心と身体に聞いてみるといい。
 心の中でマイナス感情を覚えていたり、身体が緊張していれば、そ
れは心から許していないといえるだろう。

 身体は実に精密である。
 あなたが顕在意識で考えることよりも、むしろ、身体に現れている
ことのほうが、よりあなたの本音を物語っているといえるだろう。
 あなたがいくら顕在意識で「こうだ」と思っていても、「身体」に
形として現れていることが、その思いと違う場合は、身体に現れてい
ることのほうが「本当」であり「あなたの本当の気持ち」でもある。

 つまり身体は、「顕在意識と無意識」の鏡である。
 「身体の状態」は、あなたの無意識からのメッセージである。
 無意識は、あなたの顕在意識よりも、はるかに膨大な情報量を蓄え
ている。それが身体に現れる。
 《◎とても重要。》

 常々「自分の身体にもっと関心をもって欲しい」と言っているのは、
こういう理由もあるからだ。
 身体が訴えることに耳を傾けて、それに添って、身体が訴える願い
を「聞いてあげる。叶えてあげる」にはどうするか。
 こんな発想をもって行動することが、自分を大事にすることにつな
がる。

・・・・・・・

「心で許していなくても、形だけでも許していけば、そのうち自分の
気持ちも変わっていったり、忘れていくんじゃないだろうか」
 そう言う人もいる。
 しかし顕在意識で「許した」つもりでいても、無意識のところで
「許していない」としたら、その「許せない」気持ちは消えたりしな
いでくすぶっている。

 意識しているときは、自分にブレーキをかけることができる。しか
し、「無意識」は、そうはいかない。
 もしあなたが相手の行為を「許していない」としたら、仮にそのマ
イナス感情を抑えられたとしても、その感情を、まったく関係ない相
手や、まったく違う場面でぶつけたりする。
 むしろ、その感情をどこかでぶつけるチャンスを窺っている。
 無意識に復讐を果たそうとするのである。
(もちろん、関係のない相手にぶつけても、それで満足することはな
いが)

 一般的には、知らないでやったことより、知っていてやったことの
ほうが「悪い」というふうに言われがちだが、無意識に限って言うと、
それは逆である。(続く)