「幸せになりたがらない」病

 私はしばしば、「多くの人が、幸せになりたがっていない」とジョークめいた言い方をする。
 この「幸せになりたがらない」病は、知らず知らずのうちに、私たちの日常の中に深く忍び込んでいる。

 あなたがいま、そうやってつぶやいている言葉。
 その言葉によって、「私は幸せになってはいけない」病に冒されていく。

 例えば、いま、あなたが「甘えていられる状態」でいるとしたら、どんな言葉をつぶやくだろうか。
 恐らく、
「甘えてはいけない」

 あなたが、怠けていられる状態であれば、
「怠けてはいけない」
 とつぶやく。

 楽な状態、楽しい状態になると、何か自分が悪いことでもしているような気分になってくる。だから、知らずのうちに、そんな自分であってはいけないと、否定している。

 楽でいる状態、怠けている状態を、自分に許そうとしない。それを味わう前に、言葉で打ち消す。

 それは、自分自身に、「幸せになってはいけない」と言い聞かせているようなものである。

 これが「幸せになりたがっていない」ということの意味である。

「でも、実際に甘えていられる状態がいつまでも続けばいいけど、現実的には、自立していかなくちゃならないじゃないですか」
 なるほど。

 では、
(1)「甘えちゃいけない」
 とつぶやくと、そのつぶやきの中に、どんな意識を感じるだろうか。
 では、
(2)「こんなに、甘えていられるなんて、ほんとに幸せだなあ」
 とつぶやくと、そのつぶやきの中に、どんな意識を感じるだろうか。

(1)だと、誰かにすがりたい気持ちになってくる。
 むしろ、
(2)のほうが、自立しながら幸福を味わっている感覚になる。
 と私は感じるのだが、どうだろう。

 もし、本気で幸せになりたいのなら、幸せになる言葉をつぶやこう。
 もし、本気で楽になりたいのなら、楽になる言葉をつぶやこう。

「こんなに、甘えていられるなんて、ほんとに幸せだなあ」
「こんなふうに怠けていると、なんて楽なんだろう」
 
 「幸せでいることを受け入れられる人」は、こんなふうにつぶやいて、それをじみじみ味わい、実感している。