責められた、と感じる

 相談の中で、
「ついあの人とケンカをしてしまいました」
 という話が出たとする。
 ケンカの内容について具体的に聞いていき、その人が我慢している点を探り出す。
 そして、
「ああ、それは、あなたが、Aのときに我慢しないで、素直に相手に断ることができれば、ケンカにならなかったのですね」
 と私が答えたとする。

 するとその人は、
「でも、昔に比べれば、随分と素直に話ができるようになったんですよ。完璧にできるわけがありませんので、少しずつできればいいと思っていますよ」
 という言い方が、すでに、相手を責める感情的な色を帯びている。

 自分に対して罪悪感が強いと、ついこんな反応をしてしまう。

 罪悪感が強いと、自分を責めてしまうのでつらい。だから、そのつらさを回避しようとして、つい相手を責めたくなる。
 責任転嫁や責任回避の中には、こんな強い罪悪感が潜んでいる。

 そもそも、私は、最初から、その人を責めているわけでない。
 にもかかわらず、罪悪感の強い人は、こんな「相手を責める」ような反応をする。

 このとき、その人の頭の中にあるのは、
・素直でなければならない。あなたは素直でない(と責められているように聞こえる)。素直なところもあると言い訳をしたり反論をしたくなる。
・適切に断らなければならない。あなたは適切に断ることができなかった(と責められているように聞こえる)。適切に断ることができることもある、と言い訳をしたり反論をしたくなる。
・ケンカをしてはいけない。ケンカをしてしまったあなたは、悪い(と責められているように聞こえる)。ケンカをせずに仲良くしていることもある、と言い訳したり反論したくなる。

 私はその人を責めているわけでなく、ケンカを回避できる方法を提示しようとしているだけである。
 むしろ、その提示の中には、
「我慢しているところがもっとありそうですね。自分を愛するために、もっと、自分の願いを叶えてあげたほうがいいですよ。それもすぐに、と言っているわけではありません。できるところから、少しずつでいいんです」
 というメッセージもこめているのだが、それも伝わらない。と、こう書くと、罪悪感の強い人は「そんなメッセージを汲み取れない私は、ダメだということですか」と反発したくなるだろう。

 こんなとき、罪悪感が軽い人は、素直にその言葉を受け入れるだろう。
「ああ、そうかあ。なあんだ、Aのときに、我慢しないで、自分の気持ちのままに断ればよかったんですね」
「じゃあ、どんな言い方で断ればいいのか、それが分からないから、レッスンさせてください」
 というような答え方をするだろう。

 どうでしょうか。物事を複雑にしているのは、自分だと思いませんか?
 罪悪感って、こんなものですね。