脳の回路を育てる

 心理の働き方と脳の働き方とは一致している。
 心理的に偏った思考しか出てこないとしたら、脳の働きのどこかが阻害されたり、育っていない。
 反対に、脳のどこかが阻害されていたり、育っていないと、心理的にも偏ってくる、と、つくづく痛感する。

 もちろん、それは、脳に異常があると言うわけではなく、正常な働きをしている中でも、その働き方に差違があるという意味だ。

 自分中心心理学では、脳の構造で、『左脳タイプ・右脳タイプ・感情脳タイプ・脳幹タイプ』にわけて、その分類で、言動パターンをみる。

 その分類にのっとると、どの脳が優位に働いているか。どの脳を基準にしているか。
 つまり、どの脳が“利き脳”になっているかで、機能の仕方が異なってくる、というのが見て取れる。

 臨床での観察的な見方でいうと、感情を抑えていたり、感情脳そのものが育っていないと、どうしても、右脳・左脳、あるいは脳幹が優位になるために、平面思考となっていく。

 とりわけ、典型的な左脳タイプの人ほど、平面思考になってしまうために、堂々巡りの思考に陥りやすくなる。

 どんなに考えても、どうしていいかわからないという人は、イメージで言うと、思考回路が山の手線である。
 あれこれと悩んでも、山の手線回路しかないので、そこから外れることができない。

 この山の手線から抜け出すことができない人の定番が、
「じゃあ、どうすればいいですか」
 いま、その「どうすればいいですか」の答えを、Aという実践的な方法を提示している最中に、こう尋ねてくる。

 平面思考になっているので、山の手線から支線に乗り換える方法を提示していても、支線と本線とがつながっていると、気がつかない。
 まるでそれは、各駅(感情)を味わうことなく「思考」から「思考」へと超スピードで走り抜ける新幹線である。

 悩みが深い人ほど、私の目からみると『脳の回路』が固定された平面思考になっている。
 立体思考をするには、どうしても、感情脳が不可欠なのだ。
(心だけでなく、脳をスムーズに機能させるためにも、感情は重要なのだ。)

 この、平面思考が立体思考にならない、そのストッパーとなっているもののひとつが、「罪悪感」である。しかも、その罪悪感の占める割合は、非常に大きい。

 罪悪感が、立体思考するのを妨げている!!

 先日、二日連続で、『罪悪感を消すレッスン』を開催した。
 先日だけでなく、“罪悪感”については、新刊でも述べているように、最近の私の関心ごとになっている。

 この「罪悪感を消していく」というのは、カウンセリングの中でも、ずっと、やってきたことである。決して、最近、にわかに思いついたものではなく、自分自身の中で、無意識のうちにデータとして蓄積し、無意識が自動的に解析したりしていたのだろう。

 罪悪感を減らしていくことで、偏った思考が修正されたり、柔軟な思考ができるようになったりする。
 ということは、罪悪感が、脳の働きそのものを制限している、ということになる。

 心は、脳にもあらわれている。
 脳が立体思考になれば、心も変わる。

 脳が働かないわけではない。
 頭が悪いわけではない。
 脳の回路にストッパーがかかっているだけである。

 だから、脳の回路を開くには、『罪悪感』というストッパーを外すだけでいい。
 そうするだけで、まず、心が軽くなり、これまで使っていなかった回路も次第に働き始める。

 ただ、中には、もともと支線が構築されていない人もいる。

 支線へと走る切り替えポイントに立っていたとしても、支線が存在しなければ、違った場所へも行きようがない。

 例えば、私が「罪悪感はできるだけ減らしたほうがいい」と言ったとする。
 すると典型的な思考タイプの人は、「罪悪感を減らさなければならない」と“思考”する。そして、それができなければ「罪悪感を覚える」というふうに、「しなければならない」という思考回路で固定されている人は、「罪悪感を減らしたほうがいい」という情報すらも、その情報によって、「でも、できない」となれば、一個、罪悪感が増えることになる。

 こんな固定された山の手線状態のときは、新たに支線を築く土木作業から始めることになる。
 そう言うと、また、それを思考やイメージで捉えて、とてつもなく長いレールと、それが完成するまでの年月を想像して、落ち込むかも知れない。

 そんなふうに絶望的な気持ちになる人ほど、いまを生きていない人である。

 悩みをたくさん抱えている人ほど、過去と未来に生きている。

 過去のことをあれこれ思い出しては、後悔したり悔しがったり。
 未来のことを考えたり想像したりしては、不安がったり焦ったり、恐れたり、というふうに。

 自分中心心理学は、言うなれば「いまを生きる」心理学である。
 どれだけ、いまを生きることができるか。
 どれだけ、いまの瞬間、瞬間を生きることができるか。

「いまを生きる」というのは、いまの瞬間への(心地よい)集中である。

 例えば、ここに「5分」という時間がある。
 この5分間を、過去の思い出で費やすこともできる。
 この5分間を、未来を想像することで費やすこともできる。

 さらに、過去であれ、未来であれ、その思いはプラスの思いか、マイナスの思いか。
 思いがプラスかマイナスかの分量でも、満足度は異なるだろう。

 悩みが深い人は、その思いも、たいがい、マイナスであるだろう。

 では、この5分間を、「いまを生きる」につかうとどうなるか。
 いまを生きて初めて、五感の気持ちよさ。感情の気持ちよさ。体を動かす気持ちよさ。声を出す気持ちよさ。自分の意志を尊重したときの気持ちよさ、つまりは『私を愛する気持ちよさ』等々。
 限りない満足感や充実感を、その5分間に見出すことができるだろう。

 私がセミナーやカウンセリングで取り組んでいる体からのアプローチ。脳からのアプローチ。さらには、最近は、「罪悪感を消す」というアプローチ。
 こういったもののすべてが、『いまを生きる』に焦点が当たっている。

「支線の線路を築く土木作業」というのは、こういう意味である。

 この土木作業を思考で捉えると、
「ゴールは、はるか彼方にあって、果てしなく遠い」
 というような絶望感で打ちひしがれるかも知れない。

 むしろ、そう感じる人ほど、「いまを生きる」レッスンをしてほしい。

「いまを生きる」ことができれば、「はるか彼方の、果てしなく遠い」という未来を見るよりも、いま、大地に立っている自分を実感するだろう。
 足元の、自分が踏みしめている砂利の感触を実感するだろう。つるはしを振り上げれば、その筋肉の、肉体の心地よさを実感するだろう。
 線路に小さな花が咲いていれば、その可憐さに愛おしさを覚えたりするだろう。

 今回の「罪悪感を消すレッスン」も、そんな「いまを生きる感覚」をたくさん、インプットする。

 しかも、そうすることで、蓄積していた感情が、私が想像していた以上に軽く消えていくようだ。

 癒されるというウエットな感覚を超えて、蓄積していた感情が勝手に消えていく、という感覚で、なんだかわからないけれども、『温泉気分』になっている。そんな効果があるとコメントしてくださる人が多い。