同じ出来事で自分が見える2

 朝青龍さんの隆盛期ナンバーは、「2」である。
 隆盛期のとき、彼はやりたい放題やっても放免された。
 隆盛期のときには、多少、乱暴なことをしても助かることが多い。
 
 以前開催した6年周期リズム診断セミナーで、診断したとき、民主党の小沢さんは、大リズムが隆盛期で、年のリズムも隆盛期になっていた。
 小沢さんがあれほど騒がれているにも拘わらず、不起訴になったりしているのは、隆盛期のパワーだろう。
 隆盛期のパワーもそうだけれども、隆盛期になっていると実感できるが、隆盛期には本人自身も“万能感”があって、何をやってもうまくいくような自信に満ちた感覚に包まれる。

 しかしそのツケは、浄化期に向かっていくにつれて、自分にもどってくる。
 朝青龍さんの浄化期は、2012年、2013年である。
 
 隆盛期には通用したことが、その期間が過ぎると、通用しなくなる。
 そこで気づいて修正していけばいいのだが、何度も許されると、他者中心の人ほど、自分が見えなくなってエスカレートしていく。
 
 だから彼が、こうなっていくのは当然のことだった。
 彼のように頭脳構造が単純な人ほどストレートに現れる。

 それでも、無意識の視点からみると、願いが叶っている。
 例えば(これはもちろん、推論だが)、
・相撲で、人に負けたくない。一番でいたい(優勝してやめているの
 で、負けていない)。
・稽古をしたくない(稽古がいやなので、力が衰える可能性は高い)。
・年齢的には、いまがピークである。体力的には、今の状態をキープするのは難しい。
・外国人だから、年寄株をもらえない。
・相撲界のしきたりなどを守るのが苦痛である。
・勝つのは嬉しいが、相撲は嫌い。
・常に人に注目を浴びていたい。

 この「人の注目を浴びていたい」を、プラスで叶えることができないと、マイナスのことで叶えていく。芸能界の人たちが、自分の過去の栄光を忘れられず、「もう一度、もう一度、あのときの自分を」などと痛恨の思いで願えば願うほど、マイナスの形でそれが起こりやすくなる。
 
 また、朝青龍さんの場合、暴力をふるった相手も、彼の意識に合っている人を引き寄せたと思った。週間文春や新潮によれば、殴られた人も、“いわくつきの人物”だったらしい。少なくとも、ごく普通の一般の人ではなかったという。
 相撲協会にとってダーティーなイメージを避けたかったという視点でも、辞めることに拍車がかかったように思う。

 因みに、民主党そのものは、大リズムが浄化期で、年のリズムも浄化期である。小沢さんと対極にあるのも面白い。
 民主党が政権をとっても、浄化期だから、社会影響としては、良くも悪くも、浄化するような状況へと導いていくだろう。
 政局だけでなく、いまは地球レベルでの大浄化期作用が起こっている。
 それでも日本の大リズムは、隆盛期だ。
 
 こんなふうに、“意識”が、リズムとも見事に重なっている。
(また、そろそろ6年周期リズム診断セミナーを実施したいですね。おわり)