大難を小難にする方法 3

        野分なか
        大地揺るがす
        この洗濯を
        自由ととらへし
        あいおのこころ
                  Nさん

「自分中心セミナー」のテキストに、身体の各所で呼吸してみるという箇所がある。
 もちろん、呼吸は肺でしているのだが、どこに意識を向けているかで、感じ方が全く異なる。
 これに言葉を乗せてしゃべると、声の響きも違ってくる。
 どこで呼吸しても、それなりの心地よさがある。
 意識して呼吸するだけで、意識された箇所あたりの細胞も活性化する。

 そんな心地よさが起こるというのは、どこかが調和しているからだろう。
“調和”はすべて、心地よいのだ。

 日月神示に、こんなことが書いてあった。
「病あるかないか、災難来るか来ないかは、手届くか届かないかでわかると申してあろがな。届くとは注ぐことぞ、手首の息と腹の息と首の息とホの息と頭の息と足の息と胸と臍の息と背骨の息と手の息と、八所十所の息合っていれば病ないのざ、災難見ないのざから~ことに臍の息一番大切ざぞ、~神の息と合わされると災難、病無くなるのざぞ、大難小難にしてやるぞ、生命助けてやるぞ~信ずる者ばかりに知らしてやりてくれよ。」

 自分中心セミナーのテキストで、一つだけ、気づかないことがあった。
 それは「背骨」である。

 背骨は、血液を造るところである。
 どの機能も欠かせないものだけれども、特に背骨は、「生命」という点で大事である。
 背骨で呼吸すると、自然と、丸まっていた背中も伸びる。

 ゆっくり呼吸すると、筋肉が緩む。
 しなやかに動く肉体も、心地よい。
 細胞がリラックスすれば、もろもろの機能も活性化する。

 全ての箇所で、呼吸するというのは、全ての箇所を大切に「愛する」ということにもなる。
 それぐらい、自分を丁寧に扱うことが、調和であるし、また、そうやって味わう時間を充分に実感する、その緩やかな時間そのものも、調和の時間ということができるだろう。
(などと言いながら、私は、ほとんど、仕事漬けなので、たいそうなことは言えないのですが。)

 それはともかくも、こんなふうに各所で息をしてみると、「大難を小難にする」ための意識を実感できるだろう。

 調和は、バランスである。
 天秤と同じで、両方の重さが同じであれば、天秤は、水平線を保っている。
 けれども、一方が重ければ下がり、他方は上がる。
 地球のバランスもそうだし、人間関係もそうだし、万物がバランスだ。

 自分との調和。
 人との調和。
 自然(宇宙)との調和。

 その実感を基底に置けば、それに合致した言葉となり行動となる。
 その実感ができれば、自然と人との調和をめざし、自然との調和をめざしたくなる。
 この調和の意識が、物事を変えるための源泉となる。 (おわり)