相手を分析しても意味がない? 1

 セミナーで、ロールプレー(役割演技)をするとき、
「私がセリフを言っているとき、どんな気持ちで言っているのか。相手が話をしているとき、その言葉が、自分の心にどんなふうに感じるか。これがポイントです」
 と、留意点を言います。

 それでも中には、「私がどう感じるか」ではなくて、相手はどんな性格なのか、相手はどんな気持ちになっているのか。
「こんな性格では、人との折り合いが悪くなるばかりですね」
 などと、相手の人物像を語りはじめる人がいます。

 もちろん、そんな分析を目標とするロールプレーもあるでしょうから、分析してはいけない、と言っているわけではありません。

 ただ、相手を分析しようとしても、たいていは、無駄です。しかも「他者中心」の意識では、いっそう意味がありません。

 というのは、どんなに相手を分析しようとしても、
1)自分の心には、さまざまなフィルターがかかっています。そのフィルターを通して相手を見るわけですから、所詮、「自分のフィルターを通して見た相手」でしかありません。

2)相手と私とは、常に言っていることですが、「関係性」で成り立っています。自分の眼からは相手が悪いというふうに映っても、それは飽くまでも「自分の眼から」ということです。
 このとき、“私自身”が相手に対して、どういう態度、表情、口調で言っているかは、加味されていません。
 その状況が起こっているのは、相手のせい(あるいは、相手のおかげ)だけではなくて、私のせい(私のおかげ)でもあるのです。
 つまり、その状況が起こるのは、決して、相手に因るものだけではないということなのです。

3)さらにまた、相手に対する自分の分析が、仮に正確だったとしても、それで解決することはできません。
 相手が怒りやすいとわかりました。
 相手は、自分にとって都合の悪いことを言われると、すぐに怒りだすようです。

「では、そんな相手に、どうしますか?」
 と聞かれたら、もうそこで、“どうにかして、相手を変えよう”という発想になるのではないでしょうか。

 もちろん、相手をどうにかしようとしたとき、相手が抵抗すれば、争いになります。

 争いにならないためには、相手より力で勝るか、相手より頭で優るかということになるでしょう。

 ここで、「支配」が生まれ「コントロール」が生まれます。 

 そうやって「支配。コントロール」しようとするために、争いが起こるのです。

 しかも、自分のフィルターそのものがゆがんでいる。自分が相手とどう関わっているのかにも気づいていない。
 そんな状態で、自分が正しいとばかりに、相手を支配したりコントロールしようとすれば、いっそう、争いは激化していくでしょう。 (つづく)