「絶対に私が正しい」と主張する人

「絶対に私が正しい」と主張する人

「絶対に私が正しい」と主張して譲らない人がいる。
 もちろんその人が、まったく間違いをしないわけではない。

 自分では間違いをしていないつもりでいるかもしれない。
 けれどもそれは、相手が、指摘しないだけだからかもしれない。

「絶対に私が正しい」という態度をとっている人のほうが、明らかに間違っているとわかっていたとしても、そんな人に、自分の過ちを認めてもらうなど、至難の業である。

 それを指摘しても、本人は「私が正しい」と言い張るだろう。

 それでもわかってもらおうとすれば、争いになるのは火を見るよりも明らかだ。

 だから、そんな強気の態度をとる人に対しては、冷静な判断ができる人のほうが、黙って引き下がるという判断をするだろう。

 そしてまた、そのほうが、適切な判断だと言いたい。

 一見、こういうふうに言うと、
「やっぱり、我を通したほうが、得じゃないですか」
 と言いたくなるかもしれない。

 けれどもそれは、支配関係や依存関係に陥っていて、自立できていない人の発想ではないかと思う。

 支配関係や依存関係(言っている意味は同じだが)が成り立っていて、お互いに離れられない関係であれば、「私が正しい」と主張する人のほうが、損得で言えば得することになるだろう。

 心が通い合うかどうかどうかは別にして、黙って引き下がる人のほうが、「私が正しい」と主張する人に従うことになるからだ。

 けれども、黙って引き下がる人が精神的に自立できる人であれば、どうだろうか。

 黙って引き下がるけれども、それは、それ以上に距離を縮めないということでもある。

 場合によっては、その繰り返しの中で、徐々に離れていくことになるだろう。

 精神的に自立できる人は、そうやって徐々に離れていくにつれて、他のほうへ目を向ける分量も増えていくだろう。
 そしてあるとき、別れを決意したときはもう、振り向かない。

「私が正しい」と言い張る人にとっては、青天の霹靂だ。飽くまでもそれは、「私が正しい」と言い張る人にとって、ということである。

 精神的自立ができる人は、穏やかで強い。

 何がなんでもその場で勝つことを目指して争うことはない。

 争って勝とうとするよりも、自立することを目指したほうがいい。

 争ってでも主張するより、そんな関係から卒業するために自立を目指したほうが、はるかに安全だし発展性がある。

 黙って引き下がる人が、新しい人生を歩みはじめるとき、「私が正しい」と主張する人にとっては、それが自立へのスタートとなる。

 それはまた、「私が正しい」と主張する人にとって、非常に恐れていたことだと気づく瞬間でもある。

powered by HAIK 7.1.1
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. HAIK

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional