戦わない人ほど幸せが手に入るシンプルな理由
戦わないと言うと、
「じゃあ、戦いたくても我慢しなくちゃならないのか」
と思う人がいるのではないでしょうか。
あるいは、
「さんざん、戦わないように我慢してきたんだ」
と言いたくなる人もいるでしょう。
あなたがもし、そうやって我慢しているとき、イライラしたり腹を立てたり、何らかの不満で否定的な気持ちになっているとしたら、それが既に戦っているということです。
戦わないということは、むしろ、逆です。
我慢はしません。
こう書くと、
「我慢しないで、戦わないということができるんですか!」
と言いたくなるかもしれません。
はい、できます。
ただ、根本的な意識の違いは学ぶ必要があるでしょう。
例えば、
「戦って勝たなければ、自分の望むものは手に入らない」
というような意識です。
この、戦うという意識そのものが、「相手の領域」に無断で侵入する意識です。
相手の領域に無断で侵入する意識を改善していかない限り、無意識に、永遠に戦うことを目指していくでしょう。
あるいは「他者中心」になって、他者の言動を基準にする生き方をしていれば、
「私を馬鹿にした」
「私を、鼻であしらった」
「私の話を否定した」
「私のことを理解しようとしなかった」
「私の気持ちを、受け入れようとしなかった」
「私が満足できるような反応を、相手がしなかったのは、私を軽くみているからだ」
「私を少しでも不快な気分にさせたら、許せない」
等々、理由はなんでも構いません。
根本のところで、人に対して「他者は敵だ」という認識をもっていたり、「人が自分を傷つけることは許せない」という捉え方をしていれば、「許せない」という気持ちを抱きながら、どう転んでも戦うことになるでしょう。
これも当の本人から言えば、「我慢している」ということになるでしょう。
こんな不適切な我慢もあります。
それはともかくも、どんな理由であれ、我慢しているというのは、戦っているということです。
また、そんな「我慢しなければならない」という意識が、さらに戦う気持ちを増幅させていきます。