大きな問題が起こるのを待っている
我慢するというのは、大きな問題が起こるまで、あるいは大きな問題になるまで“待っている”ようなものです。
例えばあなたが、会うたびに、自分の気持ちを少しも斟酌してくれない友人に対して不満に抱いているとしましょう。
けれどもあなたは、争いになることを恐れて、何も言うことができません。
いつも、黙って相手の言うことに従います。
相手の目には、そんなあなたの態度も、いつの間に「当たり前」というふうに映っています。
当たり前になっていれば、気づきません。
当たり前になっているのは、相手だけではありません。
つい我慢してしまう人は、元々、小さな出来事に注意を払っていません。
また我慢している人は、他者中心であるために、自分の気持ちを見ているよりも、他者に囚われている時間のほうはるかに多いでしょう。
つまり、とりわけ自分の気持ちに気づきにくい状態にあります。
そんな状態で過ごしていれば、例えば、あなたが、
「もう我慢できない」
という気持ちになって激怒しているときには、そうなる前に、「少しムッとした」というような場面が100ぐらいあったかもしれません。
本当は、その100分の1の出来事に気づいたときに、何らかのアクションをしていれば、簡単に解決してしまっていたことかもしれません。
もちろん、このときは、「戦うこともなく」終わっていたでしょう。
我慢するのが癖になっていると、戦わないで問題解決できる場面があったとしても、それに気づかないでスルーさせてしいます。
つまり、大きなことが起こるとき、その前に、小さな警告が何度もあた……。
それに気づいて対処していれば、むしろ、円満に終わっていたかもしれな
い。
我慢しない。
戦わない。
というのは、こういうことなのです。
ですから、「戦わない生き方」というのは、換言すれば、より自分を大事にする生き方でもあるのです。