羨ましいと思う心は
仕事がどんどんきて、いいですね。
人に慕われていいですね。
人に信頼されていて、いいですね。
お金がどんどん入ってきて、いいですね。
他者に対してそんなふうに思ってしまう人の目には、自分が羨ましいと思っている部分しか見えていません。
実際には、誰にでも信頼されている人がいるとしたら、その人は、信頼されるように努力しています。何もしていないわけではありません。
何もしていなくて、信頼されるわけではありません。
ところが、それを羨ましいと思っている人の目には、「何もしていないのに、信頼されていて、いいな」というふうに映っています。
そう言った人たちの努力が、見えていません。
換言すれば、見えていないから羨ましいと思ってしまうのだとも言えるでしょう。
ということは、羨ましいと感じる人は、自分自身が努力していないということになります。
あるいは、努力の仕方が間違っているのかもしれません。
まさに「他者中心」の努力であれば、
「私だって努力してますよ。でも、どんなに努力しても実らないんですよ」と言いたくなるでしょう。
そういうふうに羨ましがる人は、実際に、それぞれの人が努力していることを知らないということですから、羨ましいという人たちは、それを得ることはできないでしょう。
一般的に羨ましがられる人たちは、その影で努力しています。
もっと言えば、その努力も、努力とは考え無いほど「楽しんでいる」でしょう。
人に信頼されるには、信頼される努力をしているし、お金を稼ぐ人は、稼げるように努力しています。
そんな努力することを知っている人たちは、相手を「羨ましい」と思うよりは、
「ほんとに、あの人は、よく努力しているものね。そうなるのは当たり前だよ。すばらしいね」
と言うでしょう。