取り返しのつかないことは起こらない
一人だけのことであれば、自分がしたいと思ったり、したくないと思ったら、自分が自己責任で決めることができます。
その責任も他者と関係しなければ、自分だけがとれば済むことだから、それほど深刻に考えることもありません。
ところが昨今では、自分だけのことでも決めることができない人たちが増えています。
一人で自由に決めていいことすらも、自分の欲求に従うよりは、
「こうしても、いいんだろうか」
「私だけ、こんなにラクをしていていいんだろうか」
などと考えてしまい、自分のためだけであっても、決められません。
こんなときは、意識としては、自分以外の誰かがいます。
一人であっても、心の中に、別の人や理想の自分という他者が巣くっています。
どうしていつも、そうやって、心の中に「他者がいる」のでしょうか。それは、依存性からきています。
二人でいるのは、苦痛でたまらない。
けれども、一人でいると、どうしていいか、さらにわからなくなって、怖くなってしまう。
そんな、「一人でいられない」人たちがものすごい勢いで増殖中です。
自分で決めるのが怖い。
自分が決めて、悪いことが起こったらどうしよう、というふうに、悪いことを起こることを想像しながら、恐れを抱くのも一つの理由です。
もし悪いことが起こったら、その責任は自分だけにある。こんなふうに考えたら、確かに怖くなるだろうと思います。
しかも、その「悪いことが起こるかもしれない」という想像も、気分的には「とんでもないことが起こる。もう二度と、取り返しのつかないことが起こる」
そんな気分になっています。
取り返しのつかないことになるという思いの中には、自分だけがいるわけではありません。
親が心配する。
みんなに迷惑を掛ける。
あるいは、親に責められる。みんなに批難される。激しく攻撃される。
というふうに、想像上のたくさんの人たちが、自分の他にいます。
「いるように感じる」と言ったほうがより正確でしょう。
けれども、本当に、取り返しのつかないことが、自分が恐れているほどにあるのでしょうか。
多くの場合、仮に失敗しても取り返しのつくことのほうが大半なのではないでしょうか。
だいたいの出来事は、何でも、いつでも取り返すことができます。
一度で取り返せなければ、取りもどすための努力をしてみる。
時間をかけて、何度か……。あるいは何度でも。
もし、それで通用しない相手であれば、諦めがつきやすくなります。
を尽くせば、案外、「縁が無かったんだ」と割り切る気持ちも出てくるに違いありません。
それにまた、取り返しがつくという気持ちを持つことができれば、逆に、早めに行動できるようになっていくでしょう。
また、「取り返しがつく」という気持ちがあると、心にゆとりが生まれるために、「二度と立ち直れないほどに取り返しがつかない」ことが起こる確率も確実に低くなるのです。