「感じない」とどうなるだろうか 

相手の言葉に自動的に反応したり、相手の言葉に乗ってしまう人は、
「自分を感じることをしていない人」だと言えるでしょう。中には、
自分を感じることを疎かにしてきたために、「自分を感じられない」と
訴える人たちも増えています。

自分を感じると、相手がどんなふうに感じているかが、わかります。

例えば、一生懸命、自分のことをわかってもらおうとしてしまう人に
対して、
「あなたがこんな状態になっているとき、
相手がどんな気持ちになるかを想像したことはありますか」
と尋ねることがあります。

「自分のことで一生懸命になるので、相手のことなんて、
考えたことがありませんでした」
と答えた人がいるように、必死になって相手にすがっているときは、
相手の気持ちを斟酌する余裕などありません。

自分では気づいていないでしょうが、それは、
相手を握って離さないようなイメージです。

そんな鬼気迫る勢いで、
「こんなに求めているのに、どうして応えてくれないんだッ!」
と迫られれば、相手は「脅迫されている」ように感じて、
恐怖すら覚えるかもしれません。

イメージ的には、目前に迫ってくるあなたを、突き飛ばしてでも、
逃げたくなってしまうでしょう。 

では、そんな状態になっているときの自分はどうでしょうか。

“自分を感じる”と、その「鬼気迫る勢い」の必死感を実感しています。

もちろんそれは、決して自分にとっても、心地よいものではありません。

自分のその“心地悪さ”は、相手にも伝わります。

自分が感じている、その感じ方は、相手も同じです。

だから私はしばしば、「わかってほしい」という思いで相手にすがるのは、「攻撃だ」という言い方をするのです。

逃げたくなるのは、無理もありません。

自分が「必死」になっていれば、相手にもその「必死さ」が伝わります。
それは、相手を握って離さない、強烈な迫力です。

しかもそうやって「相手にわかってほしい」と求めれば求めるほど、
相手は自分を防御したくなるので、「どうしてわかってくれないの?」
という気持ちに発展していきます。

それが高じて、人が自分から去ってしまえば、
「誰も、わかってくれない」
と、失望的な気持ちになっていくのは、避けられないでしょう。

しかし実際には、自分のその必死さが人を遠ざけているのです。