左脳は「問題ありません」と解釈する
私は30数年近く「自分中心」をやっていますが、
昔に比べたら、質問がかなり減ってきているというのが素直な感想です。
何か質問がありませんか、と尋ねても、
「大丈夫です」
と答える人たちも少なくありません。
いまは「左脳社会」です。
いつも左脳が優位に働いていると、「左脳」で文字を読みます。
左脳で文字を読めば、文章として理解するので、
誤字脱字や文章の文法が間違っていなければ、
「問題ありません」と言いたくなるでしょう。
もちろんそれは、文章として理解できるということであって、
その内容を体験的に理解しているというわけではありません。
体験の中には、「心」や「感情」があります。
「左脳」で読むと機械的になって、その中に、
「生命」そのものの意味が含まれているとしても、
それが理解できません。
「左脳」優位になってしまうのは、ひとつは、
「他者中心」になっているからです。
「他者中心」になって、自分の外側に意識を向けて、
外側で起こっていることを目撃すれば、
それを思考で理解しようとするでしょう。
他方、「自分中心」は、意識を自分に据えているので、
感じることに焦点が当たっています。
なぜならそれは「自分を知る」ことだからです。
感じることは、「右脳」で捉える情報です。
左脳なのか、右脳なのか。大脳辺縁系なのか。
あるいは、他者中心なのか自分中心なのか。
他者中心になって、左脳優位の生き方をしていれば、
自分のことを大事にできないために、ますます、
生きづらい人生となっていくでしょう。
自分のほうに焦点を当てて「感じること」を大事にしていれば、
心がさまざまなことに反応しているのがわかります。
あらゆることに、心が反応し、感じています。
そのすべてが、情報です。
しかもそれは、自分にとっての情報です。
例えば、そんな感じ方に焦点を当てながら文章を読めば、
自分がどの文字、どの言葉に反応しているかが自覚できるでしょう。
自分の、そんな「感じ方」に焦点が当てることができたとき、
「どうしてここに、違和感を覚えたのだろう」
「どうしてこの箇所に、ネガティブな気持ちが起こったのだろう」
「どうしてこの文章に、反発したくなったのだろう」
というふうに、さまざまな疑問や自分の望んでいることや、
自分が知りたい答えを発見できるのです。