致命的な弱点 

他者中心的な考え方の代表としては、
「人と比較する」というものがあります。
例えば、あなたの友人が、
「僕は、睡眠時間は6時間もとれば、十分だ」
と言ったとしましょう。

このときあなたは、
「6時間では、とても睡眠時間が足りない。
僕は8時間じゃないと、疲れがとれない」
と思いました。

このときあなたが「他者中心」であれば、他者と自分を比較して、
「でも、彼が6時間と言うなら、
僕は、もっと睡眠時間を減らすべきなんだ」
と頭で考えるでしょう。そして「6時間睡眠」に近づけるように
努力しようとするでしょう。

でもそうやって他者中心になって努力しても、できなければ、
自分を責めたり、罪悪感を抱いたり、
自分は劣っていると考えてしまうでしょう。

どんなに努力したとしても、自分中心的意識で
「努力しようとする自分が素晴らしい」などとは言わないでしょう。

しかもその結果、そんな複合的なネガティブな意識によって、
精神的に疲弊したり、肉体的にも体調を壊してしまうかもしれません。

このときあなたが「自分中心」であれば、人と比較するよりも、
「僕は睡眠時間を十分にとりたいから、しっかり8時間確保しよう」
と、ためらいもなく、自分のコンディションのほうを
優先することができるでしょう。

相手が6時間であっても、「僕は8時間だ」を
認めることができるために、そもそも睡眠時間の長短で
心が煩わされることはないでしょう。

相手に意識が向かうと、「思考」します。
だから、他者と思考が、判断の基準となります。
自分に意識が向かうと、「気持ち・感情・欲求」に気づきます。
だから、自分と「自分の気持ち・感情・欲求」が基準となります。

こんなふうに書いたとき、他者中心の人は、また、
「自分の気持ち・感情・欲求」を基準にして大丈夫なんだろうか」
と思考します。

そしてまた、
「そんなことをしたら、人がどう思うだろうか」
「自分を優先したら、争いになるに決まっている」
などと思考します。

そうやって、実際に、試して確認しようとするよりも、
「思考」して、無理だと片づけてしまう。
こんな思考だけに依存しようとするところが、
他者中心の致命的な弱点だと言えるでしょう。

例えば、「豆腐が嫌い」と決めつけていれば、
材料の一つに豆腐が入っていれば、
頭で考えて食べようとしないでしょう。
けれども、豆腐でつくったドーナツだったら、
おいしく食べられるかもしれません。豆腐ステーキだったら、
おいしいと感じるかもしれません。

思考で決めつけて行動しないか、実際に行動して、
体験的に実感するか。

思考で「豆腐料理はいっさい食べない」と決めるか。
行動して、
「この豆腐料理はきらい」
「この豆腐料理はおいしい」
「この豆腐料理は食べられる」
とった柔軟な決め方ができるか。

他者中心の意識で思考すると、どんどん、
狭い窮屈な、息苦しい世界を作り出していくでしょう。

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