自分が信じているものしか見えない

自分が信じているものしか見えない

 ほんとうは、誰一人として、同じ世界を見ていないと、痛感せざるを得ません。

 全ての人が、全く違う世界に生きているのですから、自分と他者の思いが完全に一致したり、心がまったく一つになるなんて「あり得ない」と、意識の世界を知れば知るほど、思ってしまいます。

 それぞれが、まったく違う世界に住んでいるとしたら、自分にAがAのように見えているとしても、相手にはそれがBのように見えているかも知れないのです。

 そもそも、相手も自分と同じように見えていると無条件に信じ込んでしまうことが、誤りのはじまりです。

 自分が相手に求めるものが、
「自分がこう感じるから、相手も同じ感じ方をするに違いない」
「自分がこう感じるから、相手も自分のその思いを、感じて受け止めるべきだ」
 などと思ってしまうのは、自分が見ているものと相手が見ているものが、全く同じだという錯覚から生まれるものではないでしょうか。

 どんなに相手にわかってもらおうとしても、もとより相手は、Bにしか見えていないのですから、自分が見えているAを、相手に要求しても、相手がその期待に応えることは難しいでしょう。

「もしかしたら、私たちは同じものを見ているわけではないのかも知れない」
 こんな視点に立つことができれば、自分の望むことを、むやみに相手に要求しては、
「応えてくれない。わかってくれない」
 と不満を抱く気持ちも少し減るのではないでしょうか。

 自分が望むような満足を相手に求めても、心から満足できるような応えが返ってくることはない、というのは当たり前ということなのです。

 それは、もちろん、「相手に望むな。期待するな」と言っているわけではありません。

 相手と自分との心がまったく一致するほど満足できる世界がある、という先入観を抱きながら相手に求めることが、適切ではないと言いたいだけなのです。

 自分と相手は、全く違う世界を見ているかもしれない。

 だからこそ、例えば、相手と一緒にいて共有の時間を過ごしているとき、
 自分が「10個」の話をして、仮に「6個」わかってくれないと感じたとき、「6個」わかってくれないことに不満を抱くか、それとも、
「4個」わかってくれたと感じたとき、その「4個」に対して、「ありがとう」という気持ちを抱くかは、自分次第です。

 お互いに、違う世界に生きているということを認識できれば、相手がわかってくれないことに不満を抱くより、「わかってくれたこと」に感謝することができるのではないでしょうか。

 また、不満が多いか少ないかは、「感じ方」の感度の問題だとも言えるでしょう。

 相手がまったく同じことを言ったとしても、それをどう感じるかは、ひとえに、自分の感じ方によって異なります。

 それを「1」レベルで、嬉しいと感じるか、それとも「10」レベルで嬉しいと感じるか。

 同じことを、「1」レベルで感じる人と、「10」レベルで感じる人とでは、「9」レベルの差があります。

「満足」という点において、自分が満足できるかどうかは、「自分のプラスの感じ方」の感度の高さも大いに関係しています。

 満足度の高い人は、満足度の分量が多いだけでなく、その感度も高いのです。
 ですから、満足度の高い人生を望むとしたら、満足の感度を高めることも必須なのです。

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