自分が傷ついていても気づかない(2)

ともすれば、その「自分が変わる」という意味を、
「自分が間違っているから、自分を正さなければならない」
といふうに解釈していないでしょうか。

あるいは、「相手が悪い、相手が間違っている」と考えていれば、
「相手が悪いのに、どうして、私が変わらなければならないんですか」
と言いたくなるでしょう。

あるいは、
「私にも悪いところがあるのは認めます。でも、相手だって悪いのに、
どうして私だけ変わらなくちゃならないんですか」
と言いたくなる人もいるでしょう。

そういうふうに、
「相手もそうなのに、どうして私ばっかりが、
変わらなくちゃならないのよ」
と、他者と自分を比較して不満を言いたくなるのは、ほんとうは、
自分自身が、まだまだ、自分を認めていないからです。

自分を認めていないから、
「私も悪いけど、あの人だって」と思ってしまうのです。

そんな人ほど、自分を否定しています。

この、根本の「自己否定」があるから、「どうして、自分ばっかり」と
他者と比較して不満を覚えてしまうのです。

そんな人たちは、自分が気づいていないところで、
たくさん傷ついています。

社会と照らし合わせて「そうすべきだ」あるいは「して、当たり前だ」
と思って生きてきた人ほど、無数に傷ついているでしょう。

なぜなら、「すべき」や「できて当たり前」という発想そのものが、
「自分をひどく傷つける」ことだからです。

自分の感情や気持ちや欲求を抑えて、「すべき」や「できて当たり前」
で行動したり思考すること自体が、自分を傷つける行為です。

そういう人たちにとっての、「自分が変わったほうが早い」
という意味は、
「まずは、自分を肯定する」
ということになるでしょう。

この「自分を肯定する」ということを、言葉で言うとしたら、
「物事を、『すべき』や『できて当たり前』でやってきて、
数え切れないぐらい自分を傷つけてきたなあ。本当に、大変だったねえ。
自分を大事にしてこなかったねえ。これからは、もっと、
自分の心に叶った生き方をしよう」
というふうに、たくさん傷ついてきた自分を“いたわる”ことが、
「自分を変える」という意味だと言っていいでしょう。