戦っている人は「マッチポンプ」

戦っている人は「マッチポンプ」

 周囲を見回したとき、改めて、「絶えず戦っている人が得する」ということはないと、つくづく思います。
 一般的には「戦って勝たなければならない」という思いが浸透して競争社会です。

 まだまだ社会で生き残るには、「戦って勝たなければならない」という神話が根強いようで、そんな類の本もヒットしています。

 参考のために読んでみたのですが、そのやり方を真似していったら、「わざわざ、自ら火の中に飛び込んで行って、火傷を負う」ような人生になることは、火を見るよりも明らかだと思いました。

 事実その人は、いつもトラブルの渦中にいます。
 本人は、トラブルの中にあっても、自分の力で、それを解決した。トラブルを自分の力で鎮圧したと信じています。

 けれども実際には、「マッチポンプ」です。

 自分で騒ぎを引き起こして、問題を大きくし、それを自分が制圧する、という方法をやっているだけです。

 ですから、「マッチポンプ」に気づかない人は、その人をすごいなあという目で見るでしょう。強い人だなああ、と。

 周囲をよくよく観察していただくと、穏やかに話し合えばすんなりと解決することを、わざわざごねて、騒ぎを大きくして揉めて、それを力でねじ伏せる、という人たちがいるはずです。

 戦っている人たちは、人生の目標そのものが、「戦うこと」になっています。

 けれどもその結果、私の周囲を見る限り、戦っている人は、精神的平和や満足感を得ていないことは無論ことですが、経済的な豊かさや生き甲斐になるものも得ていません。

 なかなか、人生がうまくいかないという人たちの中には、
「でも、私は戦っていません」
 と、自分が戦っていることにすら気づかない人も少なくありません。

 それは、戦っていても、すでに「負けた気分でいる」から、戦っていないと感じるのかも知れません。

 自分の心が、満足したり、充実したり、幸せや幸福感を味わう時間や分量が少ないとしたら、すでにそれが「戦っている証拠」です。

 その意識が、自分の人生をつらくさせています。

 人と自分を比較して自信をなくしているとしたら、それも他者と自分を比較して戦っています。

 ところで、戦うことを減らしていったから物質的、精神的に豊かになっていったのか、物質的に満たされていったから戦わないようになっていったのか。

 私自身は、経験的にも「意識が先」という捉え方をしています。
 多くの人が、現実的な目先のことに心を奪われてしまっていて、「意識の重要性」に気づいていないだけだと思っています。

 これが事実だとするならば、現実を変えることはより簡単だ、と言えるでしょう。
 なぜなら、ポジティブな実感の分量を増やすだけだからです。

 まずは、とにかく、自分に関心をもって、自分だけでできるレッスンに取り組んで、よりよい人生にしていく種を育てていってほしいものです。その分、戦う意識も自動的に減っていきます。

powered by HAIK 7.1.1
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. HAIK

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional